Esqlima's Novel 1-1
賢者の復讐
その1
- 魔術師ギルドの建物に隣接している塔の最上階。
- その一室に私はいた。
- いつもなら、この時間、ギルド員専用の寄宿舎でワイングラス片手に読書に耽るのだが、部屋の主、古代宝物鑑定士サモエス……つまり私の師匠から留守を預かった手前、寄宿舎に帰ることもギルドから出ることもなかった。
- 師匠は1週間ほど前から南西の古代遺跡に行ったきりだった。
- 遺跡自体は冒険者などに荒らされ、特別に何かが出土することはないのだが、師匠は昔からそこに行くことが多かった。
- 師匠と同期の魔術師には「サモエスの別荘」と嘲笑する者もいるが、それから逃れて熱中するには最適な環境だろうと思った。
- ただ、その都度、留守番を任されることになるので、私自身としてはあまり有り難くないのだが……。
- 机上には所狭しと古代の宝物が並べられていた。
- 平時なら、師匠がやるように鑑定の真似事などしてみようかという気にもなれただろう。
- しかし、こう毎日眺めているといい加減愛想が尽きてくる。
- 同時に師匠はよく飽きないなと感心する。
- 気分転換にと、歩み寄り窓を開くと涼風が吹き込んできた。
- 上には満天の星空、下には街の街灯の灯りと家から漏れる灯りがあった。
- 夜も遅いので通行人も疎らだ。
- そんな中、ドアを叩く音と同時に、
- 「失礼します」
- という声が聞こえた。
- ドアを開くと、顔馴染みの2人の女魔術師がそこに立っていた。
- いや、正確には、魔術師の杖を手にした極々普通の魔術師と、剣を携えている魔法戦士と言った所だろう。2人とも師匠の弟子……、つまり私の妹弟子だった。
- 「どうしたんです? こんな遅くに」
- 私は驚きながらも2人を部屋に招き入れた。
- 魔術師の杖を手にした方の、ウェーブのかかった長い金髪が部屋のランタンの灯りに照らされて輝いていた。その下には碧空を思わせるような青い瞳があった。
- 一方、剣を携えている方は、夜空のような漆黒の長髪の持ち主だ。瞳は金色で夜空に輝く月のようだった。
- 「サモエス様から、手紙が届きましたの」
- 口を開いたのは金髪の方、マリエールだった。
- 「手紙ですか……?」
- 今時手紙などと思いつつ問い質すと、今度は黒髪の方、エミルファが頷いて、
- 「ええ、レイシュウ様宛てです」
- と封筒を私によこした。封筒の表に書かれた私の名前の筆跡は、確かに師匠のものだった。封を破り、中の手紙に目を通す。
- 「ねえ、手紙には何と?」
- 興味深くマリエールが覗き込むのを、
- 「マリエール、レイシュウ様が読み終わるまで待ちましょう」
- とエミルファが静かに窘める。
- 「読み終わったら、ちゃんと説明しますよ」
- と2人に目配せし、手紙の内容を読み直す。手紙の内容を要約すると、今回の鑑定に使う古文書と魔法の宝物を忘れたのでエミルファに届させるようにとのことだった。
- 2人にそれを説明すると、一番始めに口を開いたのはやはりマリエールだった。
- 「どうしてエミルファなの?」
- その声に頷いて、
- 「そうですよ、新米の私より経験があるマリエールの方が適任なのでは?」
- とエミルファも続けたので、私は、
- 「……どうでしょうかね?」
- と肩を竦めた。
- 「レイシュウ様?」
- 「どういうことなの?」
- キョトンとしている2人に、
- 「師匠も、ただ届けさせるだけならマリエールに頼んでいるでしょうね」
- と頷いた。
- マリエールは魔術師の経験を積んでいるし、何度もこういったお使いを頼まれているが、エミルファは騎士を辞め、魔術師になってからこういう主立った仕事をしていないので、どれだけ実力がついたかを試そうとしていることを説明した。
- 「なるほど……、それなら話がわかるわ」
- マリエールが腕を組んでウンウンと頷いている。まだ20歳だからかも知れないが、仕草の所々に少女らしさが残る。実際、エミルファの方がマリエールより年上なので落ち着いていた。王立女騎士団時代の礼儀正しさがそのまま残っているのもあるのだろう。その彼女が自信なさげに呟いた。
- 「でも、私はまだ……」
- 初めての仕事に動揺しているのかもしれない。私はエミルファに励ましの意も込めて、
- 「大丈夫ですよ、マリエールでもできることなんですから」
- と言い笑った。
- 「ちょっとぉ、レイシュウ様、それ、どーいう意味よ!」
- とマリエールが口を尖らせるのを見て、緊張が解れたのかエミルファも笑みを溢した。
- 「さて、手紙にはなるべく急ぐようにとありますが……どうします?」
- 私の一言に、
- 「私なら、冒険者を護衛に雇うわ、だって1人で行くのは心細いもの」
- とマリエールが提案する。
- 接近戦闘の経験がない者としての賢明な判断だった。
- 「でも、エミルファは元王立騎士団の女騎士ですよ、私たちよりその経験がある彼女なら1人でも大丈夫だと思うのですが?」
- という私の反論に、
- 「それもそうよねー……」
- と呟くマリエール。
- しばらく私たちのやり取りを見ていたエミルファが口を開いた。
- 「レイシュウ様、サモエス様は、魔術師になった私の力を試すとおっしゃっているのですよね?」
- 「ええ、そうでしょうね、手紙の内容からもそう取れますが……」
- 私が慌てて答えるとエミルファは笑顔で、
- 「ならば私も、マリエールと同じように魔術師として行動しなければ意味がありませんよね?」
- 「でも、エミルファ、貴方の場合は……」
- 言葉の途中でマリエールが遮ろうとしたのをエミルファは手で制した。
- 「レイシュウ様、これ預かって貰えませんか?」
- エミルファは腰に装備していた一振りの剣を私に手渡した。マリエールが慌てて止めようとしたが、
- 「魔術師に剣は必要ないでしょう?」
- とエミルファは頷き笑った。
- 私は手渡された剣を眺めた。恐らく騎士になる前から使い込んでいたのだろう。握り柄の部分に手の跡がしっかりと刻み込まれて遠くから見るとまるで模様のような感じだった。
- 「この剣、預かることはできません」
- 私の唐突な発言に2人が驚いた。
- 「どうしてですか?」
- 心外だと言わんばかりにエミルファが反論する。私は1つ溜息を吐いて意見を述べた。
- 「……貴女の身を守るのに必要だからです、咄嗟の時、自分の身を守るためにどちらの手段に頼るか……、無理に剣を封じることが逆に不利な状況になり得るのですよ」
- 私の意見にマリエールも頷いて続けた。
- 「冒険者に見放されることもあるからね」
- マリエールの声は悪戯っぽかったが真面目な面持ちだった。状況として可能性があることを示唆しているのだろう。
- エミルファはしばらく黙っていたが、
- 「そうですよね、わかりました」
- と納得した様子で頭を下げた。彼女の顔が笑顔に戻っていたのを確認し、
- 「さあ、明日も早いんです、もう、お帰りなさい」と2人を諭した。
- 2人が部屋を後にする時、
- 「マリエール、先に行って休んでて」
- エミルファが不意に立ち止まってマリエールに声をかけた。
- 「……ああ、そうよね、わかったわ」
- マリエールは皆まで言うなという仕草で頷いた後、私の方を見て、
- 「では、レイシュウ様、エミルファ、お先に失礼するわね」
- と一礼し部屋を後にした。
- マリエールが何も言わずに行ったのは、私たち2人が弟子以外の関係でもあることを知っているからだ。
- 立ち去るマリエールの後ろ姿を見送りつつエミルファを招き入れ、ドアに鍵を掛ける。この時間に誰も来ないことはわかっていたが、誰にも邪魔されたくないという気持ちからの行為だった。
- 一息ついて、
- 「明日から寂しくなるな……」
- と呟くとエミルファは部屋の中の方を見据えたまま口を開いた。
- 「本気でそう思っているの?」
- 僅かに怒りを孕んだ口調を察し、後ろから彼女の肩を包むように抱きしめ、彼女の頭に自分の頭をすり寄せて呟いた。
- 「心外だな、嘘を吐くと思うかい?」
- エミルファは私の腕に身を任せ、目を伏せて首を横に振った。
- 「……貴方がそんな風に言うなんて思わなかった、それだけよ」
- と呟くと私の方に向き直った。彼女の顔には悪戯っぽい笑みがあった。
- 「私にもし何かあったら助けに来てくれる?」
- 彼女の問いに苦笑して、
- 「いきなり何を? ……それに、君の方が強いだろ?」
- と答えると彼女はまた首を横に振った。
- 「そうじゃないのよ、……私、なるべく剣を使わないで行くつもりよ、だから……」
- と言って口篭もる。私は反論した。
- 「どうして? さっき言ったばかりじゃないか」
- 「だって、私はもう騎士じゃない、サモエス様もきっとそう思っている筈」
- そう言った彼女の顔から笑みが消えていた。彼女の潔い決意の表情。もう反論の余地はない。私は溜息を吐いた。
- 「仕方のない人だ、君は……」
- もう一度、今度は前から彼女の肩を抱きしめた。呼応するかのように彼女も私の背に手を回す。どちらともなくお互いに唇を重ねる。抱きしめる手に力が篭る。
- 不意に閉じていた目を開き、彼女から視線を外し、遠くを見て呟く。
- 「1つ約束を……」
- 「何?」
- 目を伏せていた彼女が、私の顔を見上げた。
- 「絶対死ぬな……、騎士じゃないと言うのならこれだけは約束して欲しい」
- 騎士時代のプライドや彼女の潔さを懸念した言葉だった。
- 「大丈夫、いざとなったら逃げ帰るわ、……貴方は何も心配しないで」
- 私の顔を愛おしそうに見詰めて彼女は微笑んだ。
- 「気を付けて」
- と呟くと、彼女は何度も頷き私の腕にもたれ掛かった。