Esqlima's Novel 1-2
賢者の復讐
その2
- あの晩から、もう2日が過ぎていた。
- 私は相変わらず師匠の部屋に入り浸っていた。
- 昼食の差し入れに来たマリエールの伝言で、エミルファが冒険者を雇ったということを聞き、ひとまず安堵した。
- 「エミルファ、大丈夫かしら?」
- 茶を啜りながらマリエールが呟く。
- 声は言葉の意味とは裏腹に楽しげだった。彼女の楽観的な性格からか、遠巻きに見て楽しんでいるようだ。少なくともエミルファの身を案じて出た言葉ではないことはわかっていた。
- 「貴女と比べて慎重すぎるぐらいですからね、何も心配ないでしょう」
- 彼女の差し入れの昼食を抓みながら笑うと膨れっ面が返ってきた。
- 「レイシュウ様ったら! すぐそうやって比較して」
- 声は笑っていた。
- 「そりゃ、そうよねー……、エミルファ、しっかりしてるもん」
- 「私たちよりは、ね」
- 相づちを打つ。顔を見合わせてクスクス笑う。
- 「それよりも良く知らせてくれましたね、貴方も忙しいでしょうに……」
- 労いの言葉をかけると彼女は笑った。
- 「便利でしょ? 事情通が妹弟子で……」
- 彼女は冒険者を雇うためにそういった店に立ち寄る機会が多いいので、冒険者の情報や動向にかなり詳しいのだ。
- 「エミルファがどんな冒険者を雇ったか知りたくありません?」
- マリエールは悪戯っぽく笑い、ウィンクした。
- 「そんなことまで聞き出せるのですか?」
- 私が感心すると彼女は、
- 「きっと知りたいと思って、……何からお話します?」
- と身を乗り出してきた。私はしばらく考えあぐねた末、首を横に振った。
- 「……やめましょう、余計な詮索です」
- 「あら、どうして?」
- マリエールは「勿体ない!」と言った顔で驚いた。
- 「今回のは彼女のための試練のようなものです、それに私たちが余計な手を回せば誰が一番傷つくと思いますか? 彼女もよくその辺を理解している筈ですよ、……まあ、知りたくないと言えば嘘ですが」
- 最後に正直に白状する私に、マリエールは呆れた顔で、
- 「やっぱり知りたいんじゃないの……」
- と小声でぼやいた。
- 私が仕方ないでしょうといった風に溜息を吐き笑う。マリエールはうな垂れて呟いた。
- 「レイシュウ様がそうまで言うのなら……」
- 私の答えは、彼女にとってはかなり期待外れだったようだ。彼女の気分を察して「気持ちは嬉しい」と付け加えると彼女は笑みで返した。
- その夜も師匠の部屋から一歩も外に出ることがなかった。机の上の宝物を少し片づけ、書き物ができる程度のスペースを確保した。師匠が留守の間に来た書類を整理するためだった。
- しばらくすると、ドアの向こうから塔の階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。次にドアを激しく叩く音。
- そのドアを開くと、そこに立っていたのは他でもない、昼に会ったばかりのマリエール、相当急いだのか、両手を膝に付き肩を上下させていた。
- 「たっ……大変よ、レイシュウ様」
- 息も絶えだえに訴える彼女を見ると、顔面は蒼白で半泣きになっているのがわかった。
- 「どうしたんですか?そんなに慌てて」
- 声をかけると彼女は私の肩にしがみついて堰を切ったように泣き出した。滅多なことでは泣かない彼女だけに余程ショックなことがあったのだろう。私は彼女の頭を静かに撫でて言った。
- 「落ち着いて、話はそれから……」
- マリエールは顔をバッと上げて私を見た。
- 「泣いてる場合じゃないのよ! エミルファが……」
- 「エミルファがどうしたんです?」
- 「暗殺者に襲われて……! 詳しくは知らないけど、ラーダ神殿に担ぎ込まれたの!」
- 少しでも落ち着かせるように彼女を椅子に座らせて屈み込んで彼女と目線を合わせて言った。
- 「それで急いでいたのですね」
- 頷く彼女の肩を叩いて、
- 「恐かったでしょう? ここなら大丈夫、安心しなさい」
- と声をかける。
- 「レイシュウ様、早くラーダ神殿に……!」
- やっと落ち着いたのか、涙を拭い懇願するように訴える彼女に私は答えた。
- 「ええ、私が行っている間の留守番、頼みますよ」
- 手近のランタンを掴み取って見遣ると、マリエールは頷いた。
- 魔術師ギルドとラーダ神殿は渡り廊下で繋がっているので外に出る必要はなかった。恐らくマリエールは外……つまり冒険者の店などからこのことを知ったのだろう。
- マリエールには念のためドアを4回叩いたら開け、それ以外では決してドアを開けない、窓も閉めて鍵を掛けるように伝えて、外側からドアに鍵を掛けた。
- ランタンを片手に塔の階段を下り、ギルドのエントランスホールまで出て渡り廊下を走る。1週間ぶりに私の姿を見た人等が何事かと振り返るが、今の私の目には入らなかった。
- 渡り廊下をしばらく行った先にラーダ神殿に続く扉があり、その前には番人……、ラーダの神官戦士がいた。久しぶりと声をかけられたが、急ぎの用事だと説明すると、番人は仕方ないと言った様子であっさりと通してくれた。
- 一応の礼儀で御神体にラーダの印で挨拶すると、奥にある治療室に近づきドアを叩いた。
- 「どなたですか?」
- 聞き覚えのある女性の声が響いた。
- 「私です、ロナ様」
- 「レイシュウですね、お入りなさい」
- と返事があったので、私は治療室のドアを開いた。
- 治療室を見ると、ベッドにエミルファが寝かされていて、それに付き添う形でロナ様が椅子に腰掛けていた。
- ロナ様……ロナ・フェアミラル司祭長は、私のもう1人の恩師である。もともと孤児であった私にとって師匠が父親代わりなら、彼女は母親代わりの存在だった。
- 私は一礼しベッドの脇に歩み寄りエミルファの様態を見た。
- 高熱でうなされているようで肩で息をしている。彼女がエミルファの額の汗を布巾で拭って介抱していた。
- 「毒の……副作用ですか?」
- と尋ねると、彼女は頷いた。
- 「ええ、解毒ができてもこれではひとたまりもない……、人為的に開発されたものと思って間違いないでしょう」
- 「メーナス……?!」
- 私の声に彼女は黙ったまま頷いた。
- 「先ほど、盗賊ギルドに使いを出したのですが……」
- 彼女は、街外れの屋敷に住む悪徳商人がメーナスに接触を図っていたという情報を得たと説明した。しかも最悪なのは、盗賊ギルドでも役人が数人買収されていることだった。
- 「エミルファが持っていた古文書と魔法の宝物があった筈ですが……」
- 私の質問に、彼女は顔を曇らせ、
- 「ごめんなさい」
- と一言謝った。
- 彼女は自分がその時留守だったこと、自分の部下が冒険者の応対とエミルファの治療を行ったこと、そして、自分の部下が上司である自分の意向をも確認せずに冒険者に古文書と魔法の宝物を渡してしまったことを語り、私に謝罪した。予想していた最悪の結果だった。
- 「せめて、私が立ち会っていればこんなことには……」
- 最後に呟く彼女に、
- 「ロナ様だけのせいではありません」
- と慰めの言葉をかけた。
- 本来なら、古文書と魔法の宝物などは、魔術師ギルドとラーダ神殿がその管理の管轄である。そういった物が何の許可もなく管轄外に出回ればその管理体制が疑われることは元より、物によっては街中に被害をもたらすものになり得るものである。
- それをいとも簡単に、上司であるロナ様の意向も仰がずに冒険者に手渡している、……仮にもラーダの司祭がそんな迂闊なことをするだろうか?
- 私は、彼女に1つの質問を切り出した。
- 「その司祭、もしかしたら、先程の悪徳商人の手の者では……?」
- 彼女の顔が血の気が引いたように青ざめていく。
- 「ま、まさか……? でも、もしそうだとしたら」
- 考え付く所は1つ、冒険者に持たせれば、管轄の届かない所……、例えば、師匠のいる古代遺跡などで襲撃すれば、街中でどうこうするよりも簡単に手に入る。
- 「その司祭は?」
- 私は新たな質問を彼女に投げかけた。
- 「帰宅すると言っていました。でも、もし貴方の憶測通りなら、帰宅せずに悪徳商人の所に、……もう、口封じのために殺されているかもしれません」
- 彼女は悲痛な面持ちで呟いていた。
- 『知識の聖母』という別名で呼ばれている彼女にとって、この事実になり得る言葉は何物にも耐え難いだろう。仮にも自分のかつての部下を見殺しにする結果になるのだから。
- 「そうでないにしても、こちらはあてにならないと言うことでしょう……、ならば後は冒険者次第ということですね」
- せめて、冒険者がこの場に残っていてくれれば……。
- もう1つ後悔したのは、昼に素直にマリエールから、エミルファの雇った冒険者の素性を聞いておけば良かったのだ。そうすれば少しは捜すのが容易になっただろう。しかし、今となっては後の祭りだった。
- 今度は、冒険者がその暗殺者に狙われることになるのだ。そして万が一、彼らが負けてしまったら・・・。
- 考える間もなくきびすを返した私を見て、彼女は驚いて介抱の手を止めた。
- 「レイシュウ? どこへ行くのです?」私は振り向いて一礼する。
- 「……エミルファをよろしくお願いします」
- 「貴方、まさか! 彼らの後を追うつもりなの?!」
- 私はそれは買い被り過ぎだと、首を横に振った。
- 「彼ら……って冒険者の命などどうでも良いのです、エミルファを襲った暗殺者とそれを雇った悪徳商人は許さない、ただそれだけです」
- 困惑していたロナ様の表情が焦燥に変わった。
- 「おやめなさい! 何をしようとしているのかわかっているの?! 暗殺者を敵に回して生き残った者は……」
- 彼女が全て話し切らないうちに、手で制して笑みを浮かべる。
- 「ええ、百も承知です、ただ、このままでは師匠にも危険が及ぶでしょう、それを未然に防ぐには事態をお伝えする必要があります」
- 私の意見に彼女はしぶしぶ納得して溜息を吐いた。
- 「彼女の側にいなくて良いの?」
- 力なく呟く彼女の肩に手を置き、私は首を横に振った。
- 「今、私がここにいて何ができますか? 私は、私のやり方で障害となる者を駆逐したいのです、どうか止めないでください」
- 彼女に教わったラーダの印を切る。
- 「……心配は無用ですよ、私にいい考えがあるのです、エミルファのことよろしくお願いします」