Esqlima's Novel 1-4
賢者の復讐
その4
- 街灯が消えた。この街では真夜中の数時間、資源を節約するために全ての街灯が消されるのだ。魔術師ギルドと市街地管理ギルドの魔法の灯りと最新の技術の結晶である。
- 魔術師ギルドに閉じ篭るか寄宿舎で身体を休めるかのどちらかの私にとってこの光景は滅多に見られるものではなかった。
- 街灯が消え、うっすらと月明かりが街並みを照らしていた。その月明かりだけを頼りに私は中央広場にたどり着き、噴水の縁に腰掛けた。
- 私は今まで聞いた話を総合し頭の中で整理した。そして次に行くべき場所を思案した。夜明けと同時に昔馴染みの馬屋で馬を借り、師匠の別荘である古代遺跡に向けて馬を走らせる。
- マリエールの話に寄ると、おそらく冒険者たちは徒歩で向かう筈だ。だが、進路はかなり変更しなければいけない。その冒険者たち、あるいはその後を追うであろう暗殺者に見つかればひとたまりもない。
- それでも上手く馬を走らせることができれば、余裕で先手を取れる筈だ。
- そうこう考えている内に、ふと眠気に襲われそうになり私は眠気を覚ますように頭を思い切り左右に振った。ここの所まともに休んだ気がしない。この一件が終わったら師匠にお願いして2、3日休暇をもらおう……、そう思った時だった。
- 私の視界に何か黒いものが飛び込んできた。目の前、数歩の所。良く見ると人間の陰の様だ。背はあまり高くなく私より頭1つ分程低い。
- 人陰は私の目の前で立ち止まると頭から何かを剥ぎ取った。覆面……? と思って見ている私の視線に気が付いたのか人陰はゆっくりと近づいて来た。
- 「もしや……!」
- と閃く。この時間に全身黒ずくめ、しかも覆面。この街の盗賊ならこんな見るからに暗殺者だと名乗るような格好はしないし、こんな真夜中に出歩くこともまずない、……暗殺者だ。ただ、もしそうならば、これは私自身が不味い状態に陥ったと言うことだ。下手をすれば間違いなくエミルファの二の舞になる……!
- 必死に平常心を保ちながら、私の方からその近づいて来る人陰に話しかけた。
- 「こんな時間に……、盗賊も大変ですね……」
- 言葉を口にしながら、月明かりで作り笑いが見破られないことを必死にラーダ神に祈っていた。陰が頷く。
- 「ええ、盗賊に昼も夜もないわ」
- その声に私は驚きを隠せなかった。
- 女性……?
- 「おや? 女性の方でしたか……これは失礼を、てっきり少年かと……」
- 驚いてるのを見破られない手段、こうやって話を逸らすのが一番だ。
- 「良いのよ気にしないで、いつも良く間違えられるから」
- 彼女は首を横に振り、私の隣りに腰掛けた。この彼女の行動には正直驚いた。
- 交わしている会話からはそんな雰囲気は微塵も感じない。まるで少女と話しているようだ。彼女は本当に暗殺者なのだろうか……?
- 「貴方は? こんな真夜中に何をしているの?」
- 不意に彼女の方から質問してきた。私は一瞬だけ答えに困った。しかし次の瞬間には真夜中に密会する恋人たちについてエミルファと話したことを思い出した。
- 「……聞くだけ野暮でしょう」
- 呟いて照れ隠しに微笑むと、彼女はハッと顔を上げて驚いた。
- 「ご、ごめんなさい!」
- 「いえ、良いのです、……待ち人来らず、とわかっていても待ってしまうのですね」
- 「貴方、ロマンチストね……」
- 私の様子を見て彼女は微笑んだ。
- 今度は私の方が驚いた。その顔が意外に幼い……、人間で言うと16、7歳くらい。それと耳が少し尖っていることに気が付いたのだ。
- 「ハーフエルフ……?」
- 思わず口を滑らせてしまった。焦る私とは裏腹に彼女は微笑んで答えた。
- 「ええ、人間の父とエルフの母、今はどこで何をして……、生きてるのかさえわからないわ」
- 彼女の顔が寂しさか、わずかに歪むのを私は見逃さなかった。きっと過去に辛い思い出があるのだろう。
- 「……生き別れ、ですか?」
- と訊ねると彼女は寂しげに微笑んで頷いた。
- 「まあ、そんな所ね……、でも、どうしてそんなこと聞くの?」
- 「私も似たような境遇だからですよ、死別でしたがね……」
- 彼女は驚いてまじまじと私を見詰めた。
- 他は全部嘘だったがこれだけは実話だった。両親は学者夫婦で親戚とかに借金をしながら奇妙で他愛もない研究に没頭していた。よって親戚からは「余され物」として疎まれてきた。そんな両親が死んだのは今から10年前、研究機材の爆発事故に巻き込まれたのだ。私は親戚に借金を返済するためにお使いに出かけていて運良く助かったのだ。だが、成人するまでの数年間は親戚同志でたらいまわしにされた。私はそんな生活に嫌気が差して天涯孤独になることを望んだのだ。
- 「ごめんなさい……」
- そこまで聞いて彼女は神妙な面持ちで謝った。もちろん、彼女が謝る義理はない。私はすぐに取り繕った。
- 「いえ、私の方こそ、こんな話をするつもりはなかったのです、許して頂けますか?」
- 「ええ、もちろん……」
- 彼女は笑顔で返した。
- この街で1ヶ所だけ街灯が消えない地域がある。中央広場から東、……つまりメーナスの方に向かって伸びる街道、別名「不沈陽通り」と呼ばれている盗賊ギルド管轄のスラム街だ。
- 彼女の言うには「不陽沈通り」のスラム街の一角に自分のアジトがあるらしい。彼女は私のことを大層気に入ったらしくこんな時間だというのに私をアジトに招待すると言い出したのだ。
- 先程、私の目の前に現れた時の身のこなし、「不沈陽通り」に盗賊ギルドの本部があることを知っていることは彼女が盗賊の技能に優れていること、つまり熟練の暗殺者であることに間違いなかった。
- それでも私は危険を承知の上で騙されたふりをして彼女に着いていった。……もしかしたら何かわかるかも知れない。ラーダ神のお導きではなく全くの好奇心からの行動だった。
- 街道の脇に入り狭い道をしばらく歩くと、スラム街独特の異臭が鼻を突いた。思わず鼻を手で被う。「すぐに慣れるわ」と彼女は鼻歌を歌いながら私の前を歩いた。金色とも紅色ともつかない不思議な色の髪が、街灯に照らされてキラキラと揺れている。
- 不意に目をやると、壁に中年の乞食が寄りかかっていた。物乞いをするかのよう手を差し出すと彼女は自分の懐から麻布で包れた何かを渡した。乞食は何も言わずに頭を地面にすりつけていた。
- 「……優しいんですね」
- その様子を見て感心すると彼女はクスっと笑い、
- 「優しい? 違うわ、実はあれは盗賊ギルドのメンバー、こうやって不審人物がいないか見張っているのよ、ちなみにさっきの包みは通行料って所かしら」
- と答えた。
- 「なるほど……、これほど目立たない打って付けの見張りはいないですね、さすが……」
- 「よしてよ、褒めたって何も出ないわ、……さあ、着いたわ」
- 彼女は静かにドアを開いて私を招き入れた。私は物音を立てないよう気を配りながら中に入った。最後に彼女が外をひと通り見渡してドアを閉めた。
- ドアを閉めると中は再び闇に包まれた。彼女は器用な手付きでランタンを付けると私に渡してくれた。
- 「盗賊は夜目が効くようにある程度訓練されてるのよ、それにここは私のアジトですもの、……ちょっと待ってて、何か飲み物を探してくるから」
- 言い放つと彼女は奥の部屋に入っていった。私はこれ幸いと辺りを見回した。
- 石壁剥き出しの壁、調度品の1つもない、あるのはボロボロのテーブルに椅子、そしてベッド……、女性の部屋にしては殺風景だ、いや、彼女が暗殺者で、他にも暗殺者が出入りしているとなれば、これでいいのかもしれない……、いろいろ考えているうちに、奥の部屋から彼女がワインの入った瓶とグラスを持って現れた。
- 「上物ではないけど……、この時間じゃ店も開いてなくて……」
- 申し訳なさそうにうなだれる彼女に私は、
- 「良いですよ、招かれた上にご馳走になるんです、文句は言えませんよ」
- と慰めた。
- 彼女は笑顔で私に椅子を勧めた。
- 一見、何もなさそうに見えるのだが、ここは紛いなりにも暗殺者のアジト……、何があってもおかしくはない、私は辺りを見渡すふりをして何か仕掛けられていないかなどを観察した。見た所何もなさそうなので椅子に腰を下ろし、ランタンをテーブルの上に置いた。
- 「どうしたの?」
- グラスにワインを注ぎながら彼女は私の方を見た。物色を止めて私は平静を装って答えた。
- 「いえ、ただ、女性の部屋にしては殺風景だなと思いまして……」
- 「うん、あまり調度品とかに興味ないの、壊れると嫌だし……」
- 彼女はまた寂しげな顔をした。手を止め、黙ったまま視線をグラスの方に傾けている。
- 「どうして嫌なのですか?」質問すると、彼女はかなり辛そうに言葉を吐き出した。
- 「……昔のこと思い出すから」
- どうやら今度こそ聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。彼女の瞳には大粒の涙が浮かんで今にもこぼれ落ちそうだった。
- 私は申し訳なく思い、
- 「貴女を泣かせるつもりはありません、もうこの話はやめましょう、ごめんなさい」
- と謝った。
- 「ううん大丈夫よ、でも、貴方って変わってるわ」
- 話の矛先は彼女が変えていた。
- 「なぜ、そう思うのですか?」
- 私の問いに、彼女は笑顔で答えた。
- 「だって……、普通の男の人って、もっとこう、がさつで荒っぽいとか思ってたけど貴方は全然違う」
- 彼女は何か珍しいものでも見るような目つきで私を見詰めていた。
- 「私が男に見えないということですか?」
- 私は悪戯っぽく笑うと、
- 「そうじゃないわ、きっと学者さんか何かなのね、だって物腰が落ち着いてるもの」
- 彼女は自分の答えに納得しているようだった。
- 私は笑顔を繕いながらも、彼女の観察眼に内心驚いて……。いや、正確には脅えていた。
- 盗賊……、ましてや暗殺者ならこのくらい造作もない。魔術師であることを見破られなかった……いや、魔法の発動体を先程の『虹色の野兎』亭に預けておいたのが不幸中の幸いだった。
- しかし、それでもこれは最初から彼女の計算で、私の素性も知り尽くしていてその上で連れてきたとしたら……?
- そう考えてるうちに背筋に冷たいものが滑り落ちるのがわかった。……動揺している!?
- 私はグラスのワインを、動揺を悟られないように一気に飲み下した。
- 「まあ、良い飲みっぷりね」
- 彼女は無邪気に微笑んだ。おかわりを薦められてグラスを渡すと彼女は満足そうに注いだ。
- ……わからない。彼女の微笑みの奥に隠されているもの全てが。嘘なのか? それとも……?
- グラスを受け取ると、彼女にも飲むように薦めた。このワインに毒か何かが仕掛けられているとしたら彼女は飲むのを躊躇う筈……。
- しかし、その期待はあっさりと彼女本人に寄って打ち砕かれた。彼女は薦められるままにグラスのワインを飲み干したのだ。
- その様子を見ながら私は考えを巡らした。もし、ワインではなくグラスに、しかも私の方だけに毒が仕掛けられていたら、今の彼女の行動は十分頷ける結果と言える。
- 「どうしたの? 顔色が……」
- 声に反応して顔を上げると、彼女が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
- 「すみません、私はあまり強いほうではないんです」
- もちろん嘘だ。だが、こうでも言わないと悟られてしまう。
- 「ごめんなさい、少し横になる?」
- 彼女は困った顔だった。
- 「ええ……、すみません」
- 彼女は華奢な腕にも関わらず器用に私の身体を支え立ち上がらせた。頭1つ分もの身長差を無視して私の右腕を彼女は自分の肩に担いだ。私はされるがままにベッドの方に運ばれて寝かされた。
- ……しばらく成り行きに任せてみよう。
- 「少し休めば楽になると思います、すみません、心配かけて……」
- 彼女は申し訳ないと言った顔をして答えた。
- 「謝るのはあたしよ、無理に薦めたみたいで……」
- ベッドの縁に腰掛けて彼女は私の額の汗を拭った。その後すぐに彼女の手が私の上着のボタンを外した。酔いを覚ますには少しでも身体を冷やすのが一番なので、私は抵抗しなかった。
- 実際、私はこの程度の量で酔いが回るような人間ではなかった。どちらかと言うと私は強い方でエミルファやマリエールと飲みに出かけても大抵、酔い潰れた彼女たちを寄宿舎まで送るくらいなのだ。
- ただ、この時ばかりは成り行き上弱いふりをし続ける方が都合が良さそうだった。
- 「……水を、もらえませんか?」
- 私は苦笑しながら彼女に頼みごとをした。
- 「ちょっと待ってて、すぐ持って来るわ」
- 私の身体を気遣ったのか、彼女は足早に奥の部屋に入っていった。
- いない間にグラスに仕掛けがないのかを確認したかったが、すぐ戻って来る恐れがあるので私はそのまま寝ていることにした。案の定、すぐに彼女は水の入ったグラスを持って戻ってきた。
- 「ありがとう」
- グラスを受け取ろうと手を伸ばすが彼女は首を横に振った。彼女はグラスを彼女自身の口元に運んだ。水を含むと私の身体を抱え起こした。その後、すぐに唇が触れて口に冷たい感覚が広がり、そのまま喉を通り過ぎた。
- 成り行きに任せようと思ったことを後悔すると同時に、これで良かったかもという如何わしい黒い感情が自分の中にあった。
- 水の流れが止まり、彼女は顔を上げようとした。が、私がそれを制した。
- 彼女の二の腕を両手で掴み、
- 「そのまま」
- と目で訴えた。彼女は頷いてもう一度唇を重ねた。
- 空が白みはじめたのが、窓の少ないこの部屋でもわかった。ランタンの灯りがなくてもうっすらと周囲が見渡せた。
- 「そろそろ行かなくては……」
- 先に身体を起こしたのは彼女の方だった。
- 「盗賊の訓練ですか? それとも……?」
- 訊ねる私の声を聞いてか聞かずか彼女はベッドから降り身支度を始めた。
- 「それとも……、って?」
- 彼女はひと通り身支度を整えると私の方に向き直って言った。
- 「……いえ、旅に出るのでは? と思いましてね」
- 悪気はない、と満面に笑みを浮かべ、私も身支度を始めた。彼女は1つ溜息を吐いて答えた。
- 「まあ、そんな所ね、貴方は?」
- 「私は旅に出るような勇気はありません、この街に越して来る時も何かに脅えながらだったのを今でも覚えています」
- 彼女は一瞬、寂しげな顔をした後、すぐに笑顔をこちらに向けた。
- 「ねえ、あたしが旅から帰ってきたら、一緒に旅をしてみない?」
- 驚く私を余所に、彼女は畳み掛けた。
- 「大丈夫よ! 何があってもあたしが貴方を守る、約束するわ、だから、ね?」
- そう話す彼女の笑顔が輝いていた。
- 彼女と会った数時間で暗殺者に対する概念……、嫌悪や脅威が薄らいでいた。
- 彼女が暗殺者……? ただの夢見がちな純粋な少女じゃないか。
- いや、私はまだ、騙されているのかも知れない? もし、これさえも彼女の罠だったら……?
- 様々な憶測が交錯する。しかし、口からは思いも寄らぬ言葉が紡ぎ出された。
- 「ええ、貴女がそうまで言うのなら……」
- 私の答えに彼女は飛び上がって喜んだ。
- 「ほんと? 嬉しい!!……約束よ! 絶対だからね?」
- まるで子供のようにはしゃぐ彼女に、私は笑顔で答えるしかなかった。
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