Esqlima's Novel 1-3
賢者の復讐
その3
- 再び、塔の最上階、師匠の私室に戻ってきた。約束した通りにドア4を回叩くと鍵が外れ、静かに開かれたドアの隙間からマリエールが顔を覗かせていた。
- 「レイシュウ様?」
- 「遅くなってすみません」
- 足早に部屋に入りドアに鍵を掛ける。
- 「エミルファは?」
- マリエールの質問に私は首を縦に振って答えた。
- 「大丈夫です、ラーダ神殿でロナ司祭長が介抱してくれています。熱はありますが命に別状はないので、明日にでもお見舞いに行ったらどうですか?」
- 彼女の不安と疑惑の顔にいつもの明るさと安堵の笑みが戻った。
- 「それより貴女に幾つか頼みたいことがあるのですが……」
- 「何でしょう?」
- 彼女はキョトンとした顔で私を見詰めた。数秒も経たないうちにその顔が驚愕に変わった。声に出さずに驚く彼女にそのとおりだと頷く。
- 書物と古代の宝物が悪徳商人に狙われていること、その悪徳商人がメーナスの暗殺者と接触を図っていたこと、エミルファを襲ったのもその暗殺者だということ、エミルファの代わりに冒険者が届けに行くらしいがその中にもしも暗殺者が紛れ込んでいたらということ等々……、を師匠に伝えに行くのだと、彼女に説明した。
- 勿論、この説明は表向き、というかマリエール向きだった。
- ロナ司祭長ならともかく彼女には余計なことは話せなかった。彼女にも危険が及ぶからである。
- 彼女はしばらく考えに耽っていたが、妙に納得した後、神妙な面持ちで私を見て言い放った。
- 「……エミルファがそんな目に合ってて黙っていられませんよね?」
- 彼女の曇りのない青い瞳、どうやら全てお見通しだったようだ。仕方ないなと頭を掻き、本当のこと、……ロナ司祭長にも言ったこと、自分がやろうとしていることを打ち明けた。
- 「それで、私は何をすれば?」
- 話をひと通り聞いたマリエールが質問した。
- 「まず書物と古代の宝物がどこに……、いえ、まだこの街にあるか、魔法で調べて欲しいのです」
- 「ロケーションで、ですね」
- 「ええ、私が国家の要人でなければ調べられたのですが……」
- 国家の要人というのはメーナス以外の5つの国で定められた法律のようなものである。現役の冒険者以外の冒険経験者のうち、熟練者を対象に取り締まるものだ。代表的なものとしては、街中での神聖魔法以外の魔法使用禁止や犯罪行為の禁止、自衛以外の戦闘行為の禁止、ギルドなどの公共の機関に背いてはいけない等がある。これに背いた者は島外永久追放という厳重な罰が下される。私はそれに該当しており、彼女はぎりぎり該当していなかったのだ。
- 「わかりました」
- 彼女は頷くと私に少し下がるように言い、手にしていたメイジ・スタッフを振りかざし魔法の詠唱を始めた。
- 「大いなる英知の恵み、魔力の根源たるマナよ、我の望むもの、我が恩師の宝の在処をここに……」
- ひと通り唱えて彼女は片方の掌を上に向けてかざす。その魔法の対象となっている書物と古代の品物が彼女のイメージとして掌の上に感知されている筈である。
- 程なくして彼女は目を開き精神集中を解いた。メイジ・スタッフを机に置くと窓の近くまで歩み寄り、暗がりの街並のある一点を指し示した。
- 「……あの辺りにあるようです」
- 彼女は街のほぼ中心にある魔術師ギルド……つまりこの場所から西の方角を指差して呟いた。
- 「西通り、ですか?」
- 私の声に彼女は頷く。
- 「ええ、どうやら昼間とは別の所にいるようね、でも街の外には出ていない、明朝早くに出発するつもりなのでしょうね」
- 「ありがとう、マリエール、助かります。……それと、これは明日からのことですが、私がいない間のここの留守をお願いしたいのです。いくら師匠でも一応は人間、暗殺者が毒を使うとなれば早い方がいいでしょう」
- 「……本当に行くつもりなのね」
- マリエールは怪訝そうな顔で尋ねる。
- 「私のことは心配いらないですよ」
- 「でも……」
- 私が気楽に構えているのとは裏腹に、彼女は不安を拭い切れないといった表情で口を噤んだ。普段あれだけ楽観的な彼女からは想像できない姿だった。やはり、身内、しかも仲の良い妹弟子が襲われたのが相当ショックだったのだろう。私は彼女の肩を軽く叩いて頷いた。
- 「私の代わりはいくらでもいます、でも師匠の代わりはどこを探してもいないのです、それは貴女にとっても同じ筈……、わかってくれますね?」
- 彼女は何も言わずに下を向いたまま頷いた。
- 「物わかりが良くて助かります、それと、あと2、3お願いがあるのですが……」
- 「何でしょう?」
- 彼女は顔を上げた。心配そうだったが、泣いている様子はなかった。私は頷いて話を続けた。
- 「昼に教えてくれようとしていた冒険者たちの素性を教えて欲しいのです」
- 「でも、余計な詮索は、って……」
- マリエールは反論した。私が首を横に振ると、彼女は私の言いたいことを察し、
- 「エミルファが倒れた以上、詮索も何もありませんよね……」
- と溜息を吐いて続けた。
- 「人数は5人、1人だけ女のハーフエルフで大きな楯と曲刀を持ってたわ、肌が浅黒かったからネアガライス出身かもね。あとは全部男、飄々した感じのエルフと、貫禄のあるドワーフが1人ずつ。あとの2人は人間で、1人はガッシリした体型、かなり大きな剣を持ってたから多分傭兵、もう1人は痩せ細った童顔の盗賊風、何かいろいろ武器を持ってたから、純粋な盗賊ではないわね。全員駆け出しの冒険者みたい、衣服の感じからオレリアンの出身者は1人もいないと思う、……何か固まって行動してたから、すぐパーティだとわかっちゃった」
- 「ちょっと待ってください、そうすると魔術師も神官もいないのですか?」
- 魔術師、神官がいない……つまり攻撃補助や回復の手段がないということになる、何らかの事情があるにせよ、それでパーティを維持するのは素人目から見ても難しいと思った。
- 私の問いに彼女は首を横に振って続けた。
- 「ああ、ごめんなさい。ドワーフの方が神官戦士だわ、……あの聖印は確か戦神マイリーね。でも魔術師らしい人物はいないみたいだから、きっとこの街で誰か雇うつもりで、もしかしたらエミルファの存在は彼らにとっては『渡りに船』だったという可能性もあるわね」
- 「つまり暫定的にエミルファをパーティに加えるつもりだった……、と言うことですか?」
- 私の質問に、
- 「暗殺者に襲われなければ、ね」
- と頷く。
- 「なるほど、では、今はもう代わりの魔術師を雇っているのかもしれませんね」
- と呟く私に、
- 「そういう事になるわ……、お役に立ちましたか?」
- と相づちを打ち、彼女は私の顔を見つめた。
- 「ええ、そこまでわかるとは思いも寄らなかったですよ。ありがとう、参考にさせてもらいますよ」
- 私が感心するのを見た彼女の顔に充実感の笑みがあった。
- 「2、3と言ってましたよね? あとは何ですか?」
- 「ああ、そうでしたね」私は最後の頼みを話した。
- 「悪徳商人の噂を流して欲しいのです、できれば冒険者の店経由で」
- 「冒険者の店経由?」
- 彼女が驚いて顔を上げる。頷いて説明を加える。
- 悪徳商人が役人を買収しているとすれば、こちらから直訴しても逆にギルドの役人に捕らえられるだけで、それこそ悪徳商人の思うツボだ。
- 私が提案したのは、冒険者の店にいる冒険者たちから噂させ、国民に不安感を抱かせ直訴に踏み切らせる方法だった。ギルドの役人のほとんどが国家の要人なので、彼らがそう簡単に国民や冒険者には手出しはできない。その噂が広まるうちに王立近衛警護団や買収されていない盗賊ギルド員が動き出すだろう。そうなれば悪徳商人もろとも、不正を犯したギルドの役人をも逮捕できるという訳だ。
- 「……前々から思ってたけど、レイシュウ様って悪党」
- 彼女は悪戯っぽく笑いボソッと呟いた。私も短く笑って続ける。
- 「本当の悪党を捕まえるには、こちらも悪党にならざるを得ないでしょう?」
- 私の言葉に彼女はクスクスと笑って頷いた。
- 私は数年ぶりにある冒険者の店『虹色の野兎』亭に来ていた。
- あてになると思っていた盗賊ギルドでも買収されているとなれば迂闊には動けない。こちらの動きが感付かれ、下手をすれば私自身が逮捕されるだろう。
- そうなると情報収集の手段として一番有効なのはこういう冒険者の店に限られる。
- 店に寄りけりだが、運が良ければ稀にギルドよりも詳しい情報が手に入る……、マリエールが良く喋っていたことだった。
- 静かに扉を開け中に入る。この時間だからさすがに店内に客は1人もいない。カウンターの奥に中年の男がランタンの下で書き物をしているだけだった。
- 「もう、店終いなんだ、明日に……」
- と言いかけた男が驚きと懐かしさを顔面いっぱいに浮かべた。
- 「レイ? レイじゃないか!」
- 「お久しぶりです、ウォルドさん」
- 私は素直に笑顔を返した。
- 私が修行時代によくお世話になったのがこの『虹色の野兎』亭であり、この店の主人……ウォルドさんだった。かつてはマリエールやエミルファのように冒険者を雇って、修行がてらお使いをさせられた記憶がある。
- 「どうした? こんな夜遅くに……、何か飲むか?」
- ウォルドさんの笑顔は綻びっぱなしだった。
- 「急用だから何もいらないですよ、それより教えて欲しいことがあるのです」
- と私は手にしていた数枚の金貨を差し出した。その様子を見てウォルドさんの表情から笑みが消える。
- 「魔術師ギルドの優秀な賢者さんが、冒険者崩れの俺に教えを請うとはねぇ……、で、何だ?」
- ウォルドさんは金貨を鷲掴みすると呼応するかのように私の話に耳を傾けた。私は耳打ちするようにカウンターから身を乗り出した。
- ひと通り聞いたウォルドさんが小声で囁いた。
- 「悪徳商人が古文書や魔法の宝物などを収集しているのは知っているな? 手段を選ばないということも。あの司祭は奴とグルだ、密かに幾つかの祭具も盗まれている筈だ、『知識の聖母』が可哀相だがな。それと奴の雇った暗殺者は2人、どちらも「眠らずの国(メーナス)」の者、奴らがオレリアンの盗賊ギルドの役人を買収しているというのは嘘だ……、ギルドが奴の悪事を洗いざらいさらけ出させるがために蒔いた種、つまりは部外者は迂闊に手を出すなと……、そんな所だな」
- 彼の情報を聞き、私は驚くと同時に感心していた。
- 盗賊ギルドは悪徳商人の動向を手を拱いて見ているだけではなかった……、公式で嘘の情報を流すということは既に対策を立て動き出してるということだ。これを機会に悪徳商人たちがギルドによって一掃されるのは、もう時間の問題だろう。
- 礼を言い立ち去ろうとする私をウォルドさんは呼び止めた。
- 「盗賊ギルドの意向に背くのか? いくら「魔術の始祖」の弟子でもただでは済まされないぞ」
- 「ええ、承知の上です」
- 笑って頷く私にウォルドさんは呆れていた。
- それもその筈。
- 「国家の要人は、いかなる場合においてもギルドなどの公共の機関に背いてはいけない」
- という決まりごとを破っているのだから。
- ウォルドさんは溜息を吐いた。
- 「まあ、ギルドはともかく暗殺者に手を出すのはやめた方がいい、命を落としたいのなら別だがな」
- 「……何も真っ向から対決しようとは思っていません。まず私では太刀打ちすらできない、油断していたとは言え元王立女騎士団のエリートを倒す相手ですからね」
- 「その顔は……、何か策でもあるって言うのか?」
- 私は首を横に振り、神妙な面持ちで答えた。
- 「策と言うほどのことではありません、ただ、これから起こそうとしていることが上手くいけば、誰の手も汚すことなく暗殺者を捕らえることができる筈です」
- その話に興味を持ったのか、
- 「もっと詳しく聞かせてくれないか?」
- と尋ねてきた。私はかぶりを振って、
- 「駄目です」
- とキッパリ言い放った。
- 心外そうなウォルドさんの顔を見て、口元だけで笑い、
- 「情報には報酬を……、これは貴方の専売特許ですよね」
- と返した。ウォルドさんは苦笑し、
- 「ちっ……、その抜け目のなさは相変わらずだな」
- と呟くと先程私が差し出した数枚の金貨を全部机の上に置いた。私は金貨の半分を手に取り、
- 「わかりました、その代わり協力してくださいね、残りの金貨は協力料ですよ」
- と手を差し伸べた。ウォルドさんは眉をひそめて、
- 「口封じ料、じゃないのか?」
- と悪戯っぽく笑った。
- 「……人聞きの悪い、それじゃ私が悪人みたいじゃないですか」
- 2人で顔を見合わせて笑い合った。
- その後、私はウォルドさんに全ての事情を話し、その上である事に協力してもらうように約束した。
- 協力とは、マリエールに頼んだ悪徳商人の噂を流す大元の店になってもらうことだった。ウォルドさんは昔から何軒かの冒険者の店と交流を持っているから、ただ闇雲に流すより伝達が早い。
- ウォルドさんは余程関心があったのか乗り気だった。一抹の不安を感じながらも私は『虹色の野兎』亭を後にしてマリエールのいる師匠の私室に戻ってきた。
- 一部始終を説明した後のマリエールの反応は、
- 「やっぱりレイシュウ様って悪党……」
- の一言だった。
- 念のために、この私室の書棚に隠し扉があることもマリエールに教えた。噂を流したことでマリエールやウォルドさんに何か不具合が起きた場合のためにである。
- この隠し扉は内側から下位古代語の暗号を唱えない限り、外側からは絶対開かないようになっている。絶好のシェルターと言う訳だ。しかも、この秘密を知っているのは主である師匠と私だけだった。
- 「後のことは頼みますね、それからエミルファのことも……」
- 私はそう言い残し部屋を後にした。